明日は学校へ行くの本当の意味|行き渋りや不登校

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明日は学校へ行くの本当の意味

学校への行き渋りが始まったころ

「明日はいく」

という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか

そして、その言葉はだいたい裏切られます

そして母はこの言葉を使います。

おそまま

明日は行くっていったじゃない!

最初は息子の気持ちが解らないので責めてしまいます。

これは、誰もが通る道なので、気に病まないでください。

既に不登校を受け入れて、冷静になった今わかることがあります。

この、「明日は行く」という言葉には2つのパターンが含まれています。

あくまで息子を見ていて私が感じたことです。

目次

明日は学校へ行くの本当の意味|行き渋りや不登校

「明日は学校へ行く」と言って行かなかったとしても、決して嘘をついたわけじゃありません。

おそまま

この言葉の裏には複雑な思いが隠れています

その場しのぎで言っている

今日ダメでも明日は行ける?と聞かれたとします。

子供は親の期待を察知し、行けないと思っていても「明日は行くから」と言います。

その言葉の裏で、子どもはこんなことを一瞬で考えます。

  • 行かないと言ったら悲しむだろうな。
  • 行かないと言ったら怒られるかもしれない

こんな思いから、「明日は行くから」と言います。

つまり、その場しのぎで言っていると思ってください。

親の期待を敏感に察知して回避しようとしているだけなのです

本気で明日は行く(行きたい)と思っている

  • 今日は無理だけど、明日は行けるかも
  • 明日は多分大丈夫

そんな風に感じて、「明日は行く」という言葉を使います

ですが、一夜明け朝をむかえると「やっぱり行けない」のです。

明日は行ける?明日は学校に来れる?はNGワード

明日は学校に行ける?はNGワード

ここでくると、明日は行ける?という質問が無意味だとわかるはずです。

私も何度か聞いたことがあるので、聞いてしまう気持ちもわかります。

聞いたところで明日は行けないことが多い。

聞いて「明日は行く」と言っても

次の日になると「行けない」結果が待っています。

例え行けたとしても無理して行っているので続きません。

結果的に子どもを苦しめることになる

子供は「行くと言ったのに行けない」自分を責めます。

たとえ、学校に行けても無理して学校で過ごすので心が疲弊します。

どちらにしても、良い結果は待っていません。

明日のことは聞かない

明日のことは、明日にならないと子どももわかりません。

だから、聞いても意味がないし、子どもを苦しめます。

だから、聞かないのが一番よいです。

だから、もし同じ状況に遭遇したら、責めたりしないでほしいなと思います。

もし責めてしまったとしても、次からでいいので受け入れてあげてください。

まとめ

子供の「明日は行く」という言葉の重み。

それを知ったのは、随分と後のことでした。

息子にはツラい思いをさせてしまい反省です。

もし今、お子さんが「明日は行く」と言っていて、次の日に「やっぱり行けない」としても

受け入れてあげてください。

いいよ。休もうねと。

この記事を書いた人

おそままのアバター おそまま 認定ファシリテーター

息子は小学1年から行き渋りがスタート。現在小学2年生で完全なる不登校。
ゲームとYouTubeとたまにけん玉。息子のけん玉検定するためにけん玉先生になり、不登校のママさんと繋がりたくてMama Café認定ファシリテーターになりました。

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