今思えば保育園のころから
- 行きたくない
- 発表会イヤ
- 運動会イヤ
この3つの枠にはまるタイプでした。
発表会や運動会は、頑張って参加しても本番で座り込んで全く動かない。
そんな感じです。
でも、小学生になれば大丈夫だろうと思っていましたが、そう上手くいきません
行き渋りが始まった息子の様子
最初に休みたいと言い出したのはGWのあとでした。
俗に言うアレが始まったのです。
五月雨登校の始まり
五月雨登校とは、学校に行ったり行かなかったりする状態。ずーっと休む不登校とは違い不定期に休むイメージです。
GWあけてから「学校行きたくない」と言いはじめました。
何度か無理して行かせましたが、そのうち月曜日だけ休むように。
学校に行くと元気
先生が決まってこう言います
学校に来ると元気で楽しそうに過ごしていますよ
後になって知ったのは、「学校では元気」は不登校あるある。
学校でムリして過ごしている状態で、悪化していくのです。
家でも元気に過ごす
嫌がった日も、戻ってくると特に変化はなく、普段通りで過ごします。
落ち込む様子はありません。
頑張ろうの声掛け
この頃の私は、不登校の子どもへの対応を知らず
- 何で行けないの?
- 何が嫌なの?
- 頑張って行こうよ
等の声かけをしていました。
不登校ギリギリのライン
文部省(当時)による定義(平成11年度の学校基本調査):年間30日以上の長期欠席者のうち「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により登校しない、あるいはしたくてもできない状況にある状態」
年間の休み(風邪などを除く)が30日以上あると不登校認定されると考えます。
息子はこのとき、週1で休むペースだったため、ギリギリ不登校ではありませんでした。
知らないは罪
このころの私は、あまり深く考えていませんでした。
ただの甘えだろうと思っていたのです。
そして、不登校にしてはいけないNG行動を連発していたのです。
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